本や新聞やソフトやゲームやCDやDVDを売っている人間は,生き続けたいのならあしたからのことを考えるべきだ。もう誰も,商品に金を払ってなど,いないんだから。
quote:若者は紙に印刷された新聞や雑誌を読むことに関心を示さなくなっている。活字離れが進んでいるからではない。その反対に,若者の多くはウェブ上の情報をむさぼるように読んでいる。RSSなどを利用して無料で効率的に情報を収集し,世界のあちこちからの多様な視点を知ることを楽しんでいる。
テキストもソフトウェアもゲームも音楽も動画も,売り物として成り立っているものなど,すでにひとつもない。1000円や5000円で売っていたとして,本当に1000円や5000円の価値があるものは,もうすでにこの社会には存在しない。1000円や5000円を払わなければ,手に入れられないからと金を払っている人間は,ひと言ですますならアホだ。きょうを,そしてあしたからを生きる資格がない間抜けさだ。ではいまそれを知っている人は,なぜ,本や新聞やソフトやゲームやCDやDVDを買っているのだろう。それは,その商品にそれだけの金銭的価値があるから購入しているのではない。人々は,欲しいと云う気持ちに金を払っているだけだ。
街角でポケットティシュを配っていることがあるが,そのポケットティッシュを欲しくもない人間が金を出して買うわけがない。30円の価値があるからと30円を払えと云ってもムダだ。だが,欲しいという気持ちがある人は,金を払っても惜しいと思わない。テキストもソフトもゲームも音楽も動画も,それと同じだ。製本された本にブログのテキストよりもエライ点なんてひとつもなく,店に並ぶDVDにDVDISOのファイルよりエライ点もひとつもない。逆に,自由にネットワーク上を行き来できない分,本や新聞やソフトやゲームやCDやDVDは劣るものでしかない。劣るものは消える。それは,必然でしかない。それらが店に売り物として並ぶのは,あと数年だ。
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